園田裕明、ランキングに参加してます!皆様の「イイネ!」の1クリックをお待ちしております!!

2015年3月23日月曜日

【文化の違い】自分で見つけ出すこと

アフリカのルワンダからこんばんは。

今週末は久しぶりにの〜んびり過ごした。
でもその中でちょっと文化なのか歴史なのか、
少し考えてしまうきっかけになったことが最後に起きた。
楽しいことばっかりだったけどハッと目が覚めた。

そんなことが散らばっていたので他の楽しい思い出とともにハイライト。

–3/20(金)ルワンダ南部会開催
 :ルワンダは大きく5つの州に分かれる。
  東部・西部・南部・北部・首都という感じに。
  その中でも青年海外協力隊が少ない南部に自分を含めて
  5名が新しく加わったということで、南部盛り上げ役として
  先輩方が歓迎会を開いてくれました。フイエに赴任して3週間。
  まだまだツラいことは特にないけど、自分がどこまで日本人としての
  付加価値を付けられるかという段階だから、ここは気合いが入るっ!
  とりあえずみんながフイエに集合して泊まってくれたから
  久しぶりすぎてとても安心したな^^





–3/21(土)フイエ散策→KOICA交流会@Nyamagabe
 :1994年のルワンダ大量虐殺事件の1番大きな被害にあったのが
  土曜日に訪れた街Nyamagabe。フイエからはバスで30分。
  ここには1番大きなメモリアル記念館があると聞いてた。
  今回は時間がなかったけど次回は必ず見に行きたい。
  
  そんなこんなで初めてKOICAの人たちといつもとは違う場所で飲んだ。
  KOICAの人はグループ派遣でみんなで仲良くやっているとか。
  派遣されてから7ヶ月。とっても先輩の彼らからはキニアルワンダ語はもちろん、
  料理の頼み方やタクシーの呼び方等、たくさんの学び取るところを感じた。
  同じアジア人としてのプレゼンスを高める努力、繋がっていく強さを付けて
  ルワンダに貢献したいなって思う。これからも大切にしてこうっと!


–3/22(日)初めての「家庭教師」と「サークル活動」
 :キニアルワンダ語を仕事で全然使えていないけど、現地語くらい
  その国の人の気持ちを少しでも理解するためにもっと勉強したい!!
  と思って、大学が近くにある地の利を活かして家庭教師を雇った。
  大学はルワンダ唯一の国立大学でとても勉強ができる人たちが多い。
  会ってみて話してみてもとってもしっかり考えている。
  家庭教師の話をして、どういう風に進めたらいいのかを一生懸命
  一緒になって考えてくれた。Nadiaて子だけど本当にこれから
  頑張ってルワンダ語だけで会話ができるくらいになって恩返しできたらな。
  –もしかしたら今日が大きなきっかけになるはず–

  そして、起業家サークル支援を始めました。これもルワンダ国立大学の
  学生とコラボしていく予定。全部で100人弱いるメンバーの中で、
  今回は10人弱が日曜なのに来て顔合わせしてくれた。
  とってもやる気がある子達。だけどどうやってサークルをうまく進めて行くか、
  どうやったらビジネスの目を養うことができるのか。試行錯誤してた。
  なんかとても懐かしいなぁって思いながら見てた。

  「ヒロ、次は何をしたらいいか分からない。どうしたらいい?」
  「プランを考えるのはいいけどフォーマットはどうすればいい?」
  「やりたいことはあるけどどうやっていいか分からないから教えてくれないか?」
  「日本のビジネスのトレーニングをしてほしい。やってくれないか?」

  そんな質問を短時間のミーティングでたくさん受けました。

  思ったこと:「自ら考えて行動する」力を一緒に磨こう。

  日本でもそうだけど、自分の考え無しに他人に頼ることが多い。
  他国からの援助に慣れてしまっている現状、支援を受けることが当たり前。
  良い情報を与えて導いてほしいという姿勢。答えが分からないから教えてほしいと。

  俺は何かの助けになればと思ってルワンダにきた。
  でも、彼らには自らの力で、自分のやりたいことを見つけて、考えて、
  やりたいことに正直に動いて希望を見てほしい。
  自分たちでも考えてがむしゃらにやれば夢は叶うんだって心の底から感じてほしい。

  だから10人を前にして思いっ切り言ってしまった。

  「It is NOT my club. Whose club is this? Isn't it yours? Who chooses to join this club?
  It must be YOU. YOU have to think by yourselves and get your OWN answer. 
  I can advise you, BUT I won't set the goal. YOU must show me your own goals.」

  自分がやりたいことをやっている「楽しさ」、そういうものをもっともっと
  彼らには感じてほしいし、与えられたらなって思った。生意気なことだけど。



  みんな、これから2年間、よろしくなー!
  俺は君たちの野心を持って集まった意思・意欲に憧れます!

  今週末はそんな気持ちの高まる終わり方でした^^また明日から頑張ろう!

P.S. キニアルワンダ語学学校の時の先生がフイエに来てくれた!
なんかキニアルワンダ語が全然できない自分がとっても悲しくなったな。
このまま終わりにはしたくない!絶対キニアルワンダできるようになるっ!
でも本当にわざわざ来てくれるとか、本当に優しいな★またいつか会おう!



2015年3月20日金曜日

【語学の違い】アフリカの奇跡と呼ばれる集団

ちょっと固い話。

アフリカの奇跡と呼ばれる小国「ルワンダ」


内陸国がゆえに何を輸入しても輸送代や関税でとっても高くなっちゃう。
輸出をしようと思っても陸路から海路まで時間がかかっちゃう。
小国であるために資源があまり無い、また入り組んだ「千の丘」に覆われて
なかなか平地で農業できる箇所が少ないため作物も取れず、自給率も高くない。
内需こそあれ、1994年の虐殺以降で産業がまだまだ育ってないこともあり
街では輸入品ばかりが溢れている。

            (お酒やファンタ類はほぼ全部輸入)

そんな小国ルワンダがなぜ2000年以降約3倍もGDPを底上げしているのか。

様々な人がそんなところに興味を持って「ルワンダに行こう!」って
思うんじゃないかな。自分はそうだったから。
どうやったらこんなスピードで、虐殺の歴史を乗り越えて成長したのか、
そんな場所でビジネスしたらどんなことが起こるんだろう。

その一つの可能性として見えてきたものがある。
それはルワンダ人の頭の良さ・そしてコミュニケーション能力なんじゃないかと。

話が固くなっちゃったので簡単に今日伝えたいこと:
ルワンダ人は語学に関してのセンスが半端なく良い!

         (ホームステイ先のこんなかわいい子供たちもペラペラ)

<ルワンダ人の語学レベル表>

1.キニアルワンダ語(現地語)→当然ネイティブ
2.フランス語(前公用語)→基本ネイティブ
3.英語(現公用語)→みんなビジネスレベル
4.スワヒリ語(近隣諸国公用語)→みんな日常会話レベル

<日本人の語学レベル表>

1.日本語(母国語)→当然ネイティブ
2.英語(第1外国語)→日常会話すら危ういこと多し
3.第2外国語→基本あまり喋らない

何でしょう、この語学だけでもスキルが違う感。

日本は終戦後にここまで欧米文化を取り入れて先進国に仲間入りしたのに、
なぜこうまで語学レベルでは劣ってしまっているのか。

もちろんそこには習う必要がなかった理由がたくさんあります。
海に囲まれて外人が少ない環境・独自の文化が強くナショナリズムが残った・
教育制度が十分整備されなかった・グローバル化に遅れた・技術屋だった・・


というわけで、アフリカの小国ルワンダ人と喋る時は、
現地で1ヶ月半勉強した片言のキニアルワンダ語(日本で勉強する必要なし!)
と英語とほんのちょっとのスワヒリ語を武器に常に会話を成り立たせています。
普通に考えるとメチャクチャなことです。

「Mwara mutse, amakuru? Nitwa Hiro, witwa nde? Ndishimye guhura nawe!
    Ukora iki?(キニアルワンダ語) Oh, saws sawa!(スワヒリ語)
    I will stay here in Huye for 2 years! Yego, utuye he? Ahh, ni hafi! I wish to get there. ////」

 (同僚3人との会話。左は20代。真ん中が1番偉い30歳。右がカウンターパート)

なんか凄いことになってますね。ぐちゃぐちゃ感が半端ない。

でもちゃんと全部的確に回答してくれます。たまにフランス語で挨拶だけすると、
「おぉぉぉ〜〜〜っ!」ってなります。直後にバァーってフランス語で会話されて、
「フランス語は喋れません!」って言わないといけなくなります。

もはや日本語も通じるんじゃないかな。

彼らは小学校から普通教育でキニアルワンダ語・英語・フランス語をやります。
セカンダリーか大学からスワヒリ語も選択して勉強しているみたいです。
日本は小学校から英語を少しずつやるけどそれだけじゃ全然できなかった・・・


だから僕はルワンダ人の強さをとても尊敬します。
たくさん色々な国に占領されて公用語も変わり、
大変な歴史の中で苦しんで育んできたものを今に活かそうと
努力している彼らを見ていると、自分もちっぽけなことで悩んでいないで
もっともっと頑張れるよね!!って励まされてしまいます。


ルワンダ人のとても気さくに話し掛けるところ(会う度に「どうよ?」って言われる)、
勤勉に仕事をするところ(朝7時から仕事始めてるのは日本より早い!)、
困っていたらすぐに助けてくれるところ(助けを請いて断られたことがない!)、
外人にもそこまで商品の値段を釣り上げて来ないところ(MAX2割増くらい!)が
とっても大好きになってきました。



ここには協力隊として支援を一緒にすることを目的にして来ました。
でも、ありきたりではあるけど、与えるものよりも
与えられるものの方が圧倒的に多いんだな、と最近よく思う。

仕事の仕方や生活のリズムはもちろん「こうした方がいいのに…」
思う場面もあったりするけど、どうしてかそのリズムがとても自分に合ってきた。
新しいやり方ってあるんだなって。良い兆候だ!いつまで続くか分からないけどね^^

どんなルワンダ人の意識の違いがあるのか、そんなことをいつも考えて
日々学んで取り入れて少しでも肥やしにしていこうっと!


2015年3月19日木曜日

【文化の違い】オーダーメイド

「オーダーメイド」ってなんか「大人な響き」がするなぁと思うでしょ?

ルワンダではオーダーメイドは当たり前。

例えば衣類を見てみよう。
チテンジと呼ばれるアフリカ特有のデザイン布。



この布が1ピース(2m×2m)RWF2,500〜5,000(約¥400〜800)で売られている。
この布を買ってから早速テイラーさんに話をしに行く。

自分「このチテンジでロングパンツ作ってほしいんだけど」
テイラー「いいよ!RWF4,000になるけど」
自分「え?もうちょっと下げてよ、RWF3,000!」
テイラー「そんな下がらないよ、時間かかるし。最低RWF3,500だね」
自分「(ちょいちょい悶着があった後に…)分かった、じゃぁそれでお願い」
テイラー「じゃぁまずサイズを計るね」
自分「OK、お願いします」(計り終わり…)
テイラー「どんな形にする?こんな感じのもあるけど。(カタログ見せる)」
自分「股下はこの深め、ベルトしないのでゴムで。裾もゴムで。」
テイラー「OK、承るね。1週間くらいかかるけど大丈夫?」
自分「急いでいて2日後に取りにきてもよい?」
テイラー「頑張るけど、できてなかったら途中までで見てもらってもよい?」
自分「OK、ではよろしく!」

的な感じで採寸とデザイン、納品日、最後に値段を決定して作ってもらいます。

そしていよいよ完成だと言う日に行ってみると、

テイラー「ごめん、ちょっと風邪ひいてしまっていて明日でもいい?」
自分「(忘れてたなこいつ…)いいけどせっかく来させたんだから安くしてよ?」
テイラー「いやいやいや、もう既に安いから無理だよ」
自分「でも今日って言ったのに全然作ってないの自分じゃん!」
テイラー「今日完成するとは言ってなかったよ?」
自分「でも作ったところまで見て修正するって話したの覚えてないの?」
テイラー「いやいやいや、覚えてるけど、病気だったから仕方ないじゃん、許して」
自分「分かった、じゃぁ絶対明日には完成させてね?じゃないとお金払わないから」
テイラー「うん、絶対やっておくよ」

翌日行ってみると、

自分「今日できたやつ見せて!」
テイラー「お、ちょうど今終わるところだからちょっとだけ待ってて」
自分「(まだかい!)OK、そしたらちょっと待っとくわ」
・・・・・・・30分経過・・・・・・・
自分「まだ終わらないの?もう30分経ってるけど」
テイラー「もう終わるから待っていて。」
・・・・・・・数分経過・・・・・・・
テイラー「できたよ!試してみて何か問題あったらすぐ修正するから言って?」
自分「OK、ここで着るわ」「これ右足と左足の長さ違うけど?」
テイラー「あぁ〜、OK。そしたら直してまた渡すわ!」

そんなやり取りがあってからの完成版はこんな感じです。


◎メリット :オーダーメイドなのにとっても安い。好きなものができる。
▲デメリット:オーダーメイドなのにクオリティが低い。直しが面倒。

ということでオーダーメイドにも善し悪しがあるんですね!
でもルワンダ人からすればオーダーメイドの方が「売れ残りリスク」
がないからやりやすいビジネスではある。
時間と手間はかかるけど、こういう風にコミュニケーションしながら
1つの服を作るのって本当に楽しい。もっと作りたいなって思わせる
1つのアトラクションのように感じる。

衣類以外にも「家具」でさえオーダーメイド。


こんな家具が欲しいってニトリのHPから抜いてきたの見せたら
縦×横×幅のサイズとパーテーションの長さを全部メモしてた。
仕事できるやん!って思ってあとは納期と値段というところ。

値段はRWF50,000(約¥6,000)するよって言われた。
想定より高かったので色々と聞いてみた。

「どのくらいの木を使うの?」
「そのサイズの木はいくらなの?」
「背後の木板を無くしたらいくらになるの?」
「原価計算教えて?」

そうするとあっちも定価から計算して採算取るために必死で、
結局値段は下がらなかった。でも結構戦ったんだけどな。

完成版は近日お家に届きます。
しっかり言ったことが伝わったのかとても気になるところですが
また届いたらここに貼付けます!


ちょっぴり大人の雰囲気を醸し出す「オーダーメイド」。
ぜひ1度試してみてください。だいたいは修正することになるんですから。

2015年3月18日水曜日

【文化の違い】家政婦(umukozi)

ルワンダに来ておそらく一番最初に「驚いた」こと

それは、中流階級以上の家庭には必ずと言っていい程
“ウムコジ(umukozi)”と言われる家政婦がいる。


こんな感じのホームステイ家族だったから、
当たり前のようにみんなの名前を聞いて早く覚えようと思った。
左からAlvin, Karen,Florida,Credo and Odets. 
自分「全員で4人兄弟なんだね!」
Alvin「いや、違うよ。うちは5人兄弟だよ?」

自分「…(虐殺の関係で一人いないのかもしれない)そっかそっか。(と生返事)」
Alvin「上の兄さんは今フランスで病気を治してる。1個下の妹も一緒にフランスに。」
自分「…(そうすると全員で6人!?)じゃぁ6人兄弟なの?」
Alvin「いや、違うよ。Odetsは兄弟じゃないから。」
自分「えっ!?そしたら親戚?何をしているの?」
Alvin「彼女は家事をサポートしてくれてるんだ。」
自分「え…(家政婦を雇う程裕福な家庭なのか)家政婦は普通のことなの?」
Alvin「多くの家庭で家政婦がいるよ。じゃないとみんな働きに行けないし。」

なるほど。父親がいなかったりすると、母親が出稼ぎに出ないと行けない。
そうすると、自然と子供達のお世話をする人が必要になる。
それがウムコジのニーズを作っている。


ホームステイ中は彼女がウムコジの役割を果たしてくれていました。
ウムコジのやることをザッと書くと…

1.朝5時起床、朝ご飯の準備
2.子供の制服等のアイロンがけ
3.外でお風呂に入る
4.子供や働く家族の洗車
5.お見送り
6.夕飯と朝ご飯の食器洗い
7.朝の洗濯
8.お昼ご飯&お昼寝
9.洗濯物取り込み
10.お昼過ぎに子供達帰宅お出迎え
11.子供達のお世話(勉強やらせる)
12.家全体の掃除
13.夕飯の準備
14.夕飯食べた後片付け

これを毎日休み無くやる。基本は寝泊まりを共にしながら住み込みでやる。
週末だけ帰る人もいるが少数派。ちなみに給料は月RWF5,000(¥1,000くらい)
という薄給ですがご飯も宿も付いてくるという付加価値があります。

ただ、それにしても仕事量に対して給料少ない!

そして、全部なんでもかんでもウムコジに嫌なことばかりやらせている!
幸い自分のホームステイの家庭は比較的ウムコジと仲良くしていたが、
ご飯も毎回みんなで食べればいいのにウムコジはみんなが食べた物の
残飯処理をするだけでテーブルには付かない。いや、付かせていない。

Odetsに最後に聞いてみた。故郷はどこなのかと。
そしたらとっても笑顔で「6月には故郷に帰ろうと思っているの♪」
と言われた。家族がいるけどなかなか収入がなく自分が負担になる
ということだった。だから故郷から離れた首都で必ず雇われるニーズがある
場所として働き場を求めた、ということらしい。


ルワンダという国の悲しい歴史の背景の重さをとても強く感じた。

それと同時に、そのツラい歴史を受け止めて懸命に生きる
ルワンダ人の心の強さを感じざるを得なかった。

大変な仕事ばかり、力仕事から細かな作業まですべてを任される。
少しでもできない、または遅れると子供が文句を言い出す。
そんな環境でも、自分の家族のために生きる彼女を見て、
改めて自分の恵まれた環境を認識し、それをこの人たちのために還元したい!
と強く熱い思いが芽生えたのを覚えている。

ウムコジ文化、それが今のルワンダを作っている要素の一つなんだな。
毎日のご飯がとても美味しく過ごせたのもOdetsのおかげ。
首都に戻ったらまたチョコレートあげて喜ばせようかな♫



【文化の違い】食生活

ルワンダに来て早2ヶ月。

ともすると、ルワンダの生活に慣れすぎて
最初のインパクトをどんどん忘れてしまいそうなので、
初期の段階で気付いたことを少しずつ書いていこう!

まずは<食生活>

1.ルワンダ人はほぼ「炭水化物」できている

 ルワンダ人は歴史的な見地から分かりませんが、
 カロリーを多く取る必要があるために炭水化物を中心に摂取する。
 例えば青バナナ(甘くない)・じゃがいも・パスタ・お米・大豆。
 全部ふんだんに炭水化物。しかも毎回同じような種類のものしか
 出て来ないとくると、バラエティー豊かな日本人の舌は飽きてくる。
 他に出る物とすれば肉・アボカド・キャッサバくらいなもの。

 しかももう一つ悩ませるのは「油」。エネルギー源とするためか、
 とりあえずひたすら色々なものが揚がっている。
 フライドポテト・フライドバナナ・フライドフィッシュ等(魚は珍しい)
 が良く出てくるメニューだ。

2.盛りつけが「レストラン級」


これはホームステイファミリーに作ってもらった夕飯の風景。
(上)豆を煮込んだスープ・フライドバナナ・汁無しヌードル・キャッサバ・ウガリ
(下)左が妹・右が兄。スープの種類が少し違うくらいの違い。

見て分かる通り、自分で取りたいだけよそって食べるスタイルが採用されている。
お店でも同じようなスタイルを取っている。

特徴的なのは一つ一つがしっかりと主に銀の取り置き鍋に入れられて、
あたかも小学校の給食を彷彿とさせるような面構えなところ。
とても盛り方も綺麗で美味しそうに見せる工夫をしていると見られる。

3.食後のイチャイ(紅茶)は「100%水筒で」出てくる


基本的に温かいミルクと砂糖たっっぷりのイチャイで締めくくられる。
砂糖が多いのは前述の理由からか。面白いのはこの水筒方式のサービング。
どの家庭でも水筒(多くは2L用)の大きなものが出てきてそれを皆で回して
注いでいく。上の写真の通り種類がとても豊富!!
かわいい水筒もあったりして、なんか微笑ましいが、慣れないために
ちょっと違和感。ただ、温かいまま飲みたいという意思が強いのか、とても実用的。

4.おかしなタイミングのご飯

この夕飯を食べるのが基本的に9時〜10時の間。ちょっと遅すぎやしませんか!?
そしてもっと面白いのは寝た後に即行で「寝る」ルワンダ人。
さっきまで食べてたから、ちょっとTVでも見ながら談笑タイム!と
気合いを入れていたら「もう寝る」って言ってハミガキちょこっとしてから
すぐに30分も経たないうちに家全体が真っ暗に。おぉ…なんて本能に真っすぐなんだ!
それはたくさん食べた後にすぐ寝てエネルギーの貯蓄をするためだろう。
理に適っていると言えばそうなるだろう。

5.おいしい食料調達編



食料はイソコと呼ばれる街の市場で調達します。たくさんの野菜やフルーツが
売られていますが、如何せん途上国の衛生環境はそこまで良くないので
ハエや虫がブンブン舞っている中での食材選びにならざるを得ません。

ただし、本当に安い!ボランティアに優しい値段設定!
キロ売りをしていますが人参1キロ500RWF(¥80くらい)、
じゃがいもに至っては1キロ200RWF(¥25くらい)という感じ。


少し栄養が偏っているかもしれませんが、生きるために必要なエネルギーの
効率的な摂取方法という面に立てばとても理に適っている調理実態かな。

ルワンダの人は今日も青バナナを食しています。

2015年3月17日火曜日

ルワンダに来るまでの道程 Vol.3

いよいよルワンダ出発に向けての段階へ。

–2014年12月   二本松研修所卒所


       70日間の訓練も終わり、食事が美味しすぎたからか、
       若干の体重増が不可避でしたが、無事に卒業することができました。
       もうもしかしたら会うことが無い人も出てくるかも、と思うと、
       ちょっと寂しいけど、でも世界のどこかでつながっているって思うと、
       全然寂しくなくなったなっていう感覚。年齢・職種・性別もバラバラの
       大人達が70日を共にする生活。だからこそ助け合う、尊重し合う、
       協力するムードがとても強かった。何も役に立てなかったけど、
       これからも生涯かけがえのない友になると思う。みんな無事に帰ってね!

–2015年1月     ルワンダへ出発(13日出発→14日現地着)
       いよいよ出発の日。当日の荷物は37kgまで。
       取捨選択をするのにとても苦労したのを今でも覚えている。

       たくさん持ってきたなって思うけど、下着はやっぱり大事!
       多くあれば洗濯も楽になるしそんな重くないし。
       あとは日本食を持ってくれば良かったなと後悔。(主にカレー粉)
       他はほとんど現地調達できるから要りませんでした。

–2015年1月     ルワンダ到着→ホテル泊まり(1週間弱ホテル)


       1枚目は空港到着直後。合計で24時間以上のフライト。
       ドーハで乗り継ぎ、スーダンチームとお別れ。
       ホテル住まいは結構部屋も汚い第一印象。だけど、その印象も
       その後のホームステイ等で良い印象へ変わってくる。

–2015年1月    語学学校がスタート(1ヶ月半の語学訓練)



       ルワンダは特殊な国です。〜2005年まではかつてベルギー領だったので
       フランス語が母国語でしたが、東アフリカ経済圏で存在感を強めるために
       英語を2005年〜母国語に採用。しかし、現地語であるキニアルワンダ語を
       全国民が喋るので、そちらも学ばないといけない。大概のルワンダ人は
       この歴史的背景から、英語・フランス語・キニアルワンダ語の3カ国語が
       標準装備されています。末恐ろしい頭脳です。

次はいよいよ語学学校を卒業して赴任してからのことを。
ようやく、「28歳、ルワンダでマーケティング始めました☆」話ができる!

ルワンダに来るまでの道程 Vol.2

Vol.1に続いて、二本松研修所へ向けての記憶をおさらい。

–2014年9 月    海外旅行
       協力隊になる前、行った後でもまとまった休みを取れることが
       ないと思い単身でギリシャへ。
       目的は1つ;人生の文明の起源を知りたい。
       そのために1つの国だけに焦点絞り敢行。
       1. 聖地メテオラへ


       2. 絶景ナヴァイヴォビーチへ
       

       3. 絶景サントリーニ島へ

       帰国後は怒濤の研修生活準備。大事なのは下着とパソコン。
       (この研修生活からMacユーザーに。軽い・楽・サクサク。
       ただ、協力隊ポータルサイトはWindows専用なので両方必要。)
       それ以外は特に要らなかったかな。

–2014年10月   二本松研修所入所(70日間の共同生活。この時28歳)
       facebookの26年3次隊の青年海外協力隊ページがあるのを
       入所1週間前に気づく。もはや後の祭り。でも一応申請。受理される。
       (偶然にも同じルワンダ仲間のマルちゃんだったね!)
       知らない人ばかりで、どんどん話し掛けると、さすが協力隊!
       みんな優しく話し掛けてくれる。

       ここからは搔い摘んでフラッシュバック。

       1.生活班のみんな(男女交互に名前の順番だけで決定。4班でした)


       落ち着いた人が多かった4班!(全員で14名)
       隊員以外でもスタッフのゆいちゃんがいたから雰囲気が良かった。
       みんなでいたから頑張れたし、みんながいたから楽しかった。
       タンザニア・トルコ・ウガンダ・モンゴル・スーダン・
       マラウイ・ナミビアとみんなバラバラだけど元気かな?
       4班のLINEは今でも健在だから連絡すぐ取れてるけど。
       
       2.チームルワンダ(全員で14名)



       元気いっぱいルワンダチーム。抜群の安定感はキャプテン
       ユーキャンのおかげ。面白さはワラやジェイのおかげ。マジメさは
       やのっち、なかちゃん、まるちゃん、てっちゃんのおかげ。おしゃれさは
       まりりん、じゅんちんのおかげ。天然の癒しはだいちゃんと
       なっちゃんのおかげ。チャキチャキな落ち着きはアキとニモのおかげ。
       みんなが同期で本っっ当に幸せです。これからもどうぞよろしく。

       3.講座委員会(各班から1名選出)

       毎回の講座をより円滑に、より目的意識を持って聞くために
       集まった集団。なにげに委員長してましたが、特に何もやらなくても
       頭のキレキレなメンバーに助けられ、とっても意味のある講座に
       することができたと思う。みんなが誇りです。

       4.語学クラス(Andyクラスの6名。最高に仲良し!最高のメンバー!)


       テキトーAndyに凄まじいスパイスを加えてくれた5名。
       「学びにきたから英語ができないとか恥ずかしいとか言ってる
       場合じゃない」「今学ばないと現地の子供が不幸になる」
       英語を喋るのがとても苦手だった自分が少し変われるきっかけを
       作ってもらったすばらしいクラス。

       まっち、安定感と語彙力は凄すぎて尊敬の眼差しでした。
       ののちゃん、貪欲さと強い意志を持って授業受けている姿勢に感動。
       あっちゃん、情報収集力・好奇心・話のネタの広さ、感嘆です。
       たか、話す積極性や正義感の強さ、常識力は自分に無くて圧倒。
       にも、癒しとコミュニケーション力の高さ、懐の広さ、学びます。

       5.所外訓練(訓練所以外での働き場を自ら決める。農家へ)

       丹治さんの農家へ。研修所から車で20〜30分くらい。
       1回目は延々と雑草刈り。農家の人の大変さを身にしみて感じる腰の痛さ。
       2回目は延々と人参掘り。ただ、収穫の楽しみや達成感はひとしおだ!

       6.野外訓練(1泊2日の野外活動。炭で食事作り、テントで寝袋就寝等)


       全然サバイバル力の無い都会っ子を露呈。魚のさばき方や鳥のさばき方
       など協力隊員が率先して研究し講座を開設。班ごとに作る食事や、
       夜みんなで寝たテントの思い出…プライスレス!

       7.イベント(今回はカズンとアンダーグラフが駆け付けて生ライブ!)


       協力隊の和って本当に大きな力を生み出すんだなとつくづく思う。
       自分一人でできること、色々な人に支えられてできること。
       人のためになるって色んな方法があって、どれもできないことなんて
       無いんだなって気付かされる毎日を送れたな。

ルワンダに来るまでの道程 Vol.1

人生で初めてのブログ投稿。

ルワンダにて早2ヶ月が経過、
二本松にてブログ開始を決心も、なかなか始められず今に至る。
だからレビュー版として今までの考えたことを整理しようと思います。

<これまでの軌跡>

–2013年9月  青年海外協力隊に入りたいと決心(この時26歳)
       「海外で」「途上国で」「日用品の」「マーケティングが」
       したくて入社した国内日用品メーカーで4年半マーケティング中心に勤務。
       30歳までに「一人で」「海外で」「途上国で」「マーケティングが」
       したかった自分がいて“1回の人生だから”を合い言葉に決意。


–2013年11月   1次選考結果合格(この時27歳)
       エントリーシートを提出して約2ヶ月弱で選考結果が手紙で届く。
       開ける時はだいぶ緊張したけど「合格」の文字があって、
       “人生が変わった”と思う一歩だったなって記憶。
       エントリーシートには自分の夢はもちろん、経験ややり甲斐を熱く
       語っていたからそれが少し響いたのかなと思った。
       協力隊って、人に夢を与える仕事の一つだから、それは良いこと。


–2014年1月  2次面接受験
       1月初旬の寒い中で面接を受験。2回に渡る面接を午後から夕方まで。
       間に合格した者用スーツの採寸をしながらの面接。職種別に席も決まって
       おり30代後半のマーケッターの方がいらっしゃったり、同じ要請志望の
       人がいたりと緊張感が少し高まった中で面接スタート。持ち時間15分。

       ◯1回目は「パーソナル面接」:主にエントリーシートに書いた中でも
       「志望動機」「職種の理由」「希望国の理由」「どんなことしてきたか」
       を穏やかな雰囲気の中で聞かれる。溶け込みやすい態度かが問われる。

       ◎2回目は「技術専門面接」:主にエントリーシートに書いた中でも
       「活かせる経験」「途上国経験」「どんなことをしたいと考えるか」
       「ボランティアとビジネスの違い」「専門的な考え方」を圧迫な雰囲気で
       聞かれる。キツい状況でもめげない姿勢が試される。

       2回目でかなりの圧迫感の中、「現職参加ではない理由」を聞かれた。
       法人向けボランティア派遣制度があるのになぜ使用しなかったか等、
       知らない事柄を問われたが、現職参加したかったけどできなかったこと、
       背水の陣でやる意思を説明。ただ、ちょっと雰囲気はキツいまま終了。


–2014年2月  2次面接結果合格
       1月の面接時は圧迫面接に負けじと頑張ったが、なんとなく「イケた!」
       という感触は無かったので、これで落ちたら空しいなと思っていた。
       封筒が届いてから開けるまでのドキドキ感はなかなか今までにない感覚。
       
       「合格」
       
       やってきたことが認められた、熱い思いが伝わったという喜び。
       ようやくスタート地点に立てた達成感。そしてたくさんの人に報告。
       自分で勝手に決めたことだから、あまり相談も人にできなかったけど、
       「辞めるな」ではなく「頑張れ」「期待してるよ」と言ってくれる
       仲間がいたことが正直とても嬉しかったのを今でも覚えてる。

–2014年9月  会社退職(現職参加を試みるも失敗)
       やってる仕事内容も、一緒にやっていた同僚の方々もとても好きで
       楽しかったしやりたいことをできていたから、辞めることに寂しさが
       やはり出てきた。実際に上司に話したのは7月末。
       (退職は有給消化後の9月末)朝からどういう話をするかは決めていた。

       「やりたい夢がある」「今しかできない」「チャレンジしたい」
       
       反対されると思ったけど、意思の確認が何回かあっただけで
       「私たちは君の夢を応援したいから、立場としては止めたいけど、
       むしろ嬉しいし海外に君という人材を送り込むことを誇りに思うよ」
       そんな言葉を貰った。正直、意外だった。

       大人になるって、色々なことを新たに学ぶこと。
       それと同時に色々なやらない理由を考えて否定したくなるもの。
       でも、それを純粋に受け入れて後押しさえしてくれた。
       同じ人に何回も送別会をしてもらった。
       たくさんの前向きな言葉を貰った。
       この会社で4年半働いて本当に良かったな。
   
       ツラい時:楽しい時=9:1くらい時間に追われて仕事していたけど、
       振り返ると楽しい時しか思い出せない。今でもそう。
       良い会社を辞める程、人として大きくなって帰らないと失礼だな、って
       気合いが入ったのをよく覚えてる。


いよいよ次は二本松研修所入所後の話に続きます。