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2016年5月25日水曜日

国立大学生による観光ビジネスアイデアコンペ

ルワンダは日差しが強くて暑い日が続いています。今年は例年よりも急激に雨季が短くなって、果物や野菜などの実りの時期が短かったため、今後の価格上昇が懸念されます。


さて、個人的な活動として今年の3月よりルワンダ国立大学でマーケティングの課外講師として僭越ながらマーケティングの授業を36名の生徒達に毎週行ない、合計12回の講義を行なってきました。

フイエは学生の街で、日本でいうなら日吉とか早稲田みたいな場所。なのに全然学生がコミュニティに活かされていない。それが少しでも変わればなと思って始めたのでした。

彼らにはより実務に近い形のワークをしてもらったり、ケーススタディでディスカッションするなどの、「カラダで覚えるマーケティング」をテーマにした授業をしていました。

というのも、ルワンダの一般的な教育の問題点として、「理論を教えて実践での使い方が分からない」とよく叫ばれるからです。最初の授業でもやはり、理論を伝えてくるけど、実際のケースに当てはめるとよく分からなくなることが手に取るように分かりました。

だから、「カラダで覚える」、というか、リアルなものとして実感できるマーケティングを分かってほしいなと思ってやっていました。なので、最終的には彼らにビジネスのアイデアを少しでも自ら捻り出せるようになってほしくて、講義の最後は”ビジネスアイデアコンペ”と称して大会を開催しました。大会と言ってもちっちゃなもんですが。。

その講義の集大成が昨日行なわれました。【フイエ観光 学生ビジネスアイデアコンペ】

●日時:5月24日(火)13時
●場所:私の配属先PSF(フイエ商工会議所)
●招待者:郡庁職員・BDF(ビジネス促進ファンド)・RDB(観光庁)・国立大学キャリアセンター・PSF(商工会議所)・JICA同期と専門家(特別に来て頂きました)
⚫︎評価:招待者の中の5名が実現可能性や新規性、差別性、プレゼンの質、質疑応答の受け答えなどにより点数化
●チーム数:8チーム(4名1チーム編成)
●プレゼンテーマ:「フイエになる資源を使って観光客を年間1万人まで増やすプランを考えろ」
●目的:マーケティング理論を実際のビジネスに応用して、実際にビジネスをやっている人たちや融資者と議論し、これまでやってきた成果を表現する。
●表彰:1位にはフイエの特産物セット、参加者全てに表彰状を贈与

表彰状も結構ちゃんと作りました。

最初は全然カスタマーのことなんか考えず、ただ俺が作ったものだから売れるでしょという考え方だった彼らが、無事にプレゼン(その質はかなり怪しい笑)してるのを見ていて、自分の子供を見ているお父さんの気持ちでした。
お偉いさんもわざわざキガリから来てくれて、結構大掛かりに思いの外なりました。
ザッとこんな感じのプランが出てきました。
歴史を辿るフイエマラソン招致とか
千丘を利用したマウンテンバイクツアーとか
厳選された地方のコーヒーが一気に毎日楽しめる森の中のコーヒーバーとか。

やっぱり、学生だから発想できることってあるんだよなーとつくづく自分の考え方の狭さに気付かされました。また、学生が評価するジャッジに詰められてるのを見て、自分の教え方や導き方を反省したり。教わることがたくさんありました。

他チームのプレゼンを聞きながら真剣な表情で質問する学生達。
ジャッジも真剣そのもの。
みんなのプレゼンが終わり、ジャッジで最終判断を行ない、1位が決定!
どれも面白いなと思うものばかりだったのですが、1位に選ばれたのはフイエで唯一の森林公園で、観光客はほぼ誰も知らないような手がつけられていない、でも野鳥や植物が生い茂って歴史的モニュメントがある場所を、ネイチャーエンターテイメントとして再活性化するというプロジェクトアイデアでした。

現状分析→ニーズ把握→コンセプト→マーケティングミックス→市場インパクト→コストパフォーマンス→リスクマネジメント→モニタリング評価

一連の流れをとても綺麗に話していました。素直に嬉しかったです。彼らが自信を持って自分の考え方を自分の言葉で話しているのを見れて。

個人的にはマウンテンバイクツアーやってみたいなと思っていて、ぜひ実現可能性を探りたいなと思っています(^^)

そしてみんなに表彰状の受け渡し。ジャッジみんながそれぞれ生徒の名前を呼んで一人一人に渡していく。
なんかとても嬉しい渡し方だなーと思いました。日本ではあまりないですかね。

最後にみんなで記念写真。
なんか学校みたいで学生時代を思い出しました!
先生〜!って集まって写真撮ってくる生徒達は本当おっさんみたいだけどかわいい存在で。
生徒のリーダーもよく頑張って付いてきてくれました。途中めちゃくちゃ怒ったりとかたくさんしたのに頑張りました。
やっててよかったなーと思った瞬間。本番前は全然時間守らない学生達にブチ切れて説教もしました。
最後はみんなで打ち上げ。本当よく頑張ったねみんな。


一番嬉しかったのは「ヒロとまたマーケティング勉強したい」「マーケティングとても好きになった」「また次もやってほしい」と言われたことだろうか。

ルワンダではインターンシップやビジネストレーニングを受けないと就職では不利になります。だから、最初はみんなサティフィケート(トレーニング資格認定)のために来てるんじゃないかと思った時もありました。

でも最後にはこうして、「自分の夢のために学ぶことの楽しさ」を、ショボい授業の中でも少し分かってくれたのかなと思わせてくれました。本当に素敵な学生達です。また来学期にもやろうと思います。更に発展した形を用意しないとと今から楽しみ。

さて、次のステップは実際に彼らが残してくれた良いアイデアを、僕ら大人が現実のものとして発展させ、作り起こしていくこと。それが、彼らが夢を実現できると信じれる唯一の手段。今度は僕ら大人の番です。さぁ頑張ろう!


2016年5月21日土曜日

感謝の気持ちはひとしおという話

今週は元ウガンダ隊員で現在はコーヒービジネスを起業準備されてる平野さんがフイエにいらっしゃってくれました。

我々一押しのフイエマウンテンコーヒーでカッピングを行いました。

フイエのコーヒーは本当に美味しくてしかもバリエーションがあって楽しめます。

今日は全部で9種類。本当コーヒーシーズン真っ盛りな感じでとてもウキウキです。

僭越ながら点数もつけちゃったり。でもやはり難しかったり。。

フイエのコーヒー隊員古賀さんも一緒に。また一つ、フイエのコーヒーが広まることを祈って。


さて、今日は更にコーヒー絡みで石鹸を作りにいつもの女性組合のところへ行きました。これはお母さんの子供。作業は全部お家でやるので僕が行くと家族全員集まってくれる。


首都で一気に売れてしまったり、大型発注をもらったりでコーヒー石鹸は生産が追いついていません。そして、それとともに品質が下がりそうだったので、注意と改良を加えることにしました。

①タグを縫い付ける
→以前はタグは付けずに、石鹸に押印してフイエコーヒーと書いていましたが、女性組合というところもしっかり出すために紙をコピーさせるようにしました。これだけでも手間なのでなかなかやる気にならないのが普通ですが、本当お母さんはとても前向きに取り組んでくれます。

②型を変更し、見た目綺麗に
→今まではケーキの型に入れて等分してましたが細かいデザインのためどうしても角が削れたり凸凹が目立つように。なので思い切って筒型にすることにしました。切った時の断面も綺麗で魅力的になるはず。

ということで改良を欠かさない癖を付けてもらい今後も品質を下げないようにします。

たくさん作ってたくさん売るんだとお母さんもやる気に満ち溢れてて嬉しい。

またコーヒー粉末のデオドラントはまだ店頭に出てないけど仲間うちで興味津々な人が多く値段も手頃(500rwf)なので好評。

帰り際にいつものように、お家で採れた新鮮な大きなバナナ一房を紙袋に包んでくれました。お母さんの感謝の気持ちが表れていて、また嬉しい。

更に今日は、
「今度家族と一緒に豚料理を食べましょう」と誘ってくれました。

ルワンダで豚料理なんて一般家庭では滅多に出ない高級料理。

石鹸が売れていること、たくさん新しいネタを持ち込んでくれること、一緒に毎週作るのを手伝っていること、それに対して御礼がしたいから、とのこと。

とってもありがたい言葉で素直に一緒に働けてよかったなと思いました。
お嬢ちゃんが3人いてとても仲良い家族。
この子はいつも懐いてくれる。
良いなーと思う家族像の中に入れることを嬉しく思う。
お母さんも石鹸やデオドラントなどコーヒーの色々な商品が売れてもっと楽しくできるように、また気持ち新たに頑張ろうと思います、


2016年5月18日水曜日

コーヒーバイヤーさんとの再会

ルワンダコーヒーは5月までが収穫期のピーク。まさに今色んな会社が凌ぎを削ってコーヒーを集めているところです。


そしてそれはコーヒーを買う側のピークとも同じで現在多くのバイヤーさんがルワンダを訪れています。

ただ、日本からのバイヤーさんは他の国に比べると少ないのが現状です。距離も遠く、またなかなか現地にいって見てパートナーシップを組んでやるようなところはなかなかないからです。

でも先週末にお客様が来てくれました。昨年の10月の日本帰国時にSpecialty Coffee Association of Japan 2015でルワンダブースでお会いしたONIBUS COFFEEさん。詳細は以下のホームページで。

今回はルワンダ最大の輸出会社RWACOFと任地フイエの大きい輸出会社RWASHOSCCOへの2日間お連れししました。

★1日目
RWACOFへ。昨年まで色んなコーヒー関係者に会ってきたので本当にこういう時にはたくさんの人が協力してくれます。社長も快く引き受けてくれて車の手配、工場見学、カッピングまで全て準備万端でやってくれました。

まずは工場見学。輸出用に、コーヒーウォッシングステーションから送られてきた豆を更に生豆の状態まで加工するところです。
左の彼はカッピング資格試験でも一緒だったエマニュエル。頼もしいやつです。右の方々がバイヤーさん。最先端の機械を使った厳選法は見ていても楽しい。

次にカッピング。全部で26種類、東西南北のサンプルが用意されてました。
1つのサンプルにつき4カップ出してもらいました。なので合計104カップ。独特の味わいがあって点数も高いものが多かった。やはりシーズン初めなので、新鮮なフルーツ感があるものと、少し未熟なものが混在するカップでした。

★2日目
RWASHOSCCOが管轄するキガリから一番近い北部のmusasaという場所の農園、ウォッシングステーション、そしてカッピングに。ここはカップオブエクセレンスなどの国際品評会で常に入賞し続けるレベルがかなり高い地域です。ここでも車の手配から昼食など全てをアレンジしてくれました。社長は昨年10月に一緒に日本でルワンダコーヒーの宣伝をした人でとても優しくて懐の深い素敵な人です。

まずこの日は農園へ。
完熟豆だけをしっかり取れてるか、コーヒーツリーは手入れされてるか、そのような細かいバイヤーさんの目線を教えてもらいました。

そしてウォッシングステーションと呼ばれる加工場へ。
musasaは1年ぶりに来たけど本当に綺麗な場所です。山のてっぺんに加工場があり、眺めも良く、かつ機械も最先端でとても品質高く保たれています。オペレーションもとても管理が行き届いている場所で、バイヤーさんからもこんなにしっかりやってるところは珍しいと言って頂きました。それを社長に伝えると本当に喜んでいて、こちらも嬉しくなってしまいました。

次にカッピング。musasaのものと、rwashosccoの各地のものを取り寄せて20サンプル。ここでも約100カップ。
やはり加工もチェリーもきちんとされてるので、しっかり味にも反映されて高品質。綺麗な味わいのものが多かったです。
とても気に入って頂いて、期待大です!!


ということで2日間のアテンドを終えて帰ってきたのでした。

【学んだこと】
①情報発信の大切さ、現地のリアルな情報の作り方
→実際バイヤーさんにはなかなか距離も遠くてルワンダの情報がリアルに伝わらない。でも今回お連れさせてもらって実際の農家や加工現場を見てもらうと多くの新しい発見があったようで、こちらとしても本当に多くのことを気付かされた。情報がないとなかなか売りこめない、でもそれがあれば売り込める突破口になる。ルワンダに来てもらうことの意義を改めて感じるとともに、ここからの情報発信の仕方もまた考えされられた。

②日本のバイヤーさんとルワンダの輸出会社を繋ぐボランテイアの役割
→ルワンダの人達はなかなかコミュニケーションに苦しんで日本人との関係性をうまく築けないことが多い。それは日本人の「本音と建前」のようなビジネスでの姿勢も大いに影響している。だからこそ、ボランテイアがしっかり繋いで関係性を構築してあげることで、今後からの深い交流、そしてビジネスの継続性に繋がると強く感じた。今回がそのきっかけになってくれることを切に祈りたい。

③1年目でルワンダ内コネクションを作ることの大切さ
→今回アレンジしたのはどれもルワンダを代表するコーヒー会社。そんなところの社長さん達が1ボランティアの依頼を歓迎して精一杯もてなしてくれました。とても嬉しかったと同時に、去年1年間をほぼコーヒーに捧げて政府関係者やトップの人達とやり合ったことが今に繋がってるんだなと感じた。1年目は「見る時期」だと言う人もいるけど、自分としては「どんどん挑戦すべき時期」と思って取り組んだ結果、2年目がだいぶ充実した関係性になっている気がする。自分の幅を広げるってシンドかったけど、今後の活動にももっと活かせると思った。

④ボランティアとしての出会いに感謝
→前までの自分なら絶対お会いしていない方々とご一緒させてもらっていて、たくさんの刺激をもらってる。一期一会の精神で、色んな人から勉強させてもらえることに感謝して今後も尽くしていきたいと感じた。

ルワンダコーヒーをもっともっと多くの人に届くように、そしてもっともっと農家さんが楽しく幸せな人生になるように、また気持ち新たに頑張ろう!

2016年5月8日日曜日

同僚が語る「強く生きるということ」

前回のブログにも書きましたが、先週は【生きる強さ】を僕の同僚から教わりました。
先週の水曜日は写真の真ん中にいる日本からの友人が来てくれて朝からコーヒーツアーに行く予定でした。でも朝の早い時間に写真左の同僚からメールが来て、同僚の地元に連れて行ってくれるとのこと、急遽予定を変更して地元に行かせてもらいました。

ここからは同僚48歳の生涯を辿る素敵なツアーの始まりでした。フイエから車でないと行けないギサガラというエリアで、なんとレンタカーまでしてくれて(しかも自腹で!)案内してくれたのです。

①昔通っていた小学校へ
フイエの町から車で40分ほどしたところにある丘の上の小学校。英語で話しかけてくるほど結構頭の良い子な多そうな田舎の学校でした。
サンズという地域が彼の地元なんです。
みんな裸足なのがポイントですね、ここ一帯は貧しい地域だと彼も言っていました。でも、懐かしそうに、そして嬉しそうにここでこんな風に勉強したんだって語る彼を見てるだけでこちらも嬉しくなりました。

②実家があった場所へ
学校があったすぐ近くの丘の下を指差して、あそこら辺に家があったんだと語る同僚テオフィル。そこは彼の家族が一緒に住んでいた場所でした。「ジェノサイドで両親は殺され、兄も死に、家も崩壊された」と語る彼の目は寂しそうでした。計り知れない悲しみがそこにあるような気がしました。

③大学卒業後に就職した稲作組合へ
彼がジェノサイドを経験したのが26歳の時。当時彼は24歳で就職したばかり。それがここ写真の稲作地帯が広がる場所。勉強ができた彼は稲作組合でファイナンシャルマネージャーとして働き始めました。
ここが昔の俺の宿舎だったんだよーと話す彼。今はそこがそのまま事務所として使われていました。立ち寄っていろんな人に挨拶しながら旧交を深めている姿は、本当に喜びを噛み締めているよう。でも、彼が近くの稲作組合で働いている間に、両親含めた家族が殺されてしまったのです。やり切れない気持ちが物凄いあったはずです。

④生き残った家族が住んでいた昔の家へ
壊された家の後に、未亡人となった兄の嫁を支えるために彼はお世話を買って出たと言います。政府が未亡人のために建てた集落の一つがこの写真の家。そこに行って農作業などをして手伝ったと言います。
牛や鳥を飼い、野菜もたくさんなっていて、自給自足の生活ができているようでした。でも政府の与えた家は住みにくいようで、また違う場所に住んでいるとのこと。

⑤同僚が建てた生き残り家族や仲間の家へ
写真の家が彼が立て直した家です。その前は茅葺屋根の本当に昔のタイプのお家だったそう。
同僚の右に立ってるのが兄の嫁。他の人たちは周囲で暮らすコミュニティの人たちだそう。
子供も愛情たっぷり育ってました。
たくさんのウリなどの野菜が育てられており、それを少しずつ売って生活しているとのこと。アボカドなんて2つで50フラン(日本円で8円)にしかならないんだと語ってました。「ジェノサイドがあったけど、みんな地元から離れたくはない」と説明してくれました。悲しみが眠る場所でも、それでも頑張って生かされてる人生を全うしたいという気持ちの表れのようでした。
驚いたのはこの集まってくれたコミュニティの人たちの話でした。聞けば、「この中には家族を殺した加害者もいるよ」とのことでした。もちろん被害者の人も。「もう関係ないんだよ、みんな一緒に生きてる。彼らも罪を償うために頑張った。我々も、彼らを殺そうとすればできた。でも、そんなことをしたら、同じことを繰り返すだけなんだって分かっていた。だから助け合うこと、許すこと。どんなに大変だったかはもう説明できないけど、そうしてみんなが今生きてるんだよ」と語る同僚の目は本当に希望を目指した昔の努力が感じ取れました。

⑥中学校の友達を訪ねて
「おぉー、久しぶりだねー、元気だった?いやー、よかったよかった」と友達に地元で再会をしていて楽しそうだね、て僕が言った後に返ってきた言葉に耳を疑った。「おぉー、そうそう、彼はジェノサイドの時に加害者側だったんだよー。元気にしてたなー」、、、一瞬なんと言って良いか分からなかった。その前には「この村はほとんど虐殺時に全滅した」と語られていた。そして加害者を目の当たりにした自分。今ではそんな風には全く見えない大人しそうな人で、テオフィルともとても仲良さそうな雰囲気だった。そんなことがあるのか?これこそがまさに、隣人が、友人が殺人鬼になるという現実、そして現在に至っての【許す】という行為のリアルだった。
こんな平和な町でも色んな人がそこに関わっていたという事実。そしてそれは今になっても現実として痕跡を残しているということ。でもそれを生き残ったみんなが認めて前を向いているということ。

正直言って全然理解できなかった。

最後に農園や稲作地帯などを回り、地元巡りは終わりました。

【学んだこと】
虐殺の全ては客観的な史実でも統計的なデータでもない、主観的なリアルであるということ。

今までも少なからず感じてはいましたが、初めて身近な同僚に起きた現実と今の関係性を認識し、事の大きさと彼らの努力の背景を見れた。そして、同僚はわざわざ自分のお金を払ってまでレンタカーをして僕らを案内してくれた。

「ルワンダをもっと知ってほしい。自分のことをもっと知ってほしい」

そんな想いがあったんだろうなと察すると、なんか、ようやく同僚と打ち解けられた気がした。1年2ヶ月を共にしてきて、ようやく彼のことを知れた気がした。決して遡りたくない歴史も、包み隠さず教えてくれた。場違いな言い方だが、嬉しかった。
残された家族を支えるという使命を持って働いてる背景まで知り、しかも彼は自分の子供が3人もいるのに、兄の子供の大学費用も工面している。彼らが地元に帰ってきたのを見たコミュニティの人たちは本当に嬉しそうだったのが印象的だった。一家の大黒柱、大きな父ちゃんとしての彼の強さがよく分かった。

彼は、僕の中での生きるお手本になっていくでしょう。生きるって大変なこと、素晴らしいこと。そしてそれをしっかり使命を持って生き抜くこと。

当たり前かもしれないけど見失いがちなことを彼が教えてくれたのだと思う。ボランティアに来てからというもの、本当に自分は彼らから見習うことばかりだなって改めて思うのでした。