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2016年6月25日土曜日

タンザニア紀行 #5 ザンジバル

さて、タンザニア紀行も最後になります。前回までは陸の旅サファリでしたが、今回は海の旅ザンジバルをお送りします。

【ザンジバル】
タンザニアのリゾート地として名高いザンジバル。割りかし綺麗な部分だけ取り上げられる街ですが、ここでは光と闇の両方を取り上げたいと思います。

《ザンジバルの地理》
念のため。ザンジバルはタンザニアの東海岸でインド洋上にある島で人口約100万人が住む。イスラム教が人口の8割以上を占める。タンザニア圏内にあるが歴史的にはザンジバル王国として栄えたため自治権が強く、独立国家としてのプライドを持つ国である。2000年にストーンタウンが世界遺産に登録される。

《ザンジバルの歴史》
ザンジバルの人類の歴史は長く、約2万年前から人類はここに住んでいたとされます。ザンジバルはインド洋、アラブ海、アフリカ域内の中継点としての交易重要ポイントになったため、1499年のポルトガル人バスコ・ダ・ガマの渡航後にポルトガルに支配され、200年後にはオマーン人に支配される。ここからはアラブ系により統治されたため今のイスラム傾向の強さが残る。

この頃から①香辛料②象牙③奴隷の貿易の中心を担う。香辛料貿易は対ヨーロッパ中心に栄え、現在でもザンジバルの多くのエリアで香辛料生産が根差しており、お土産の一つになっている。また、奴隷貿易は加速され、現在のケニア・コンゴなどまで広がり、スワヒリ語圏の拡大もこれに乗じた。

1890年代にはイギリス支配領域となり、間も無く奴隷貿易は終わった。1964年にスルタン支配に不満を持つアフリカ人により独立国家として建国、タンザニアと合流し、タンザニア共和国となり今に至る。

以上が簡単なザンジバルの歴史。それを抑えるとザンジバルもまた違う見え方に。

《観光》
まず目にしたのは大砲。戦争の名残。
そしてお土産さんに大量に置いてあるスパイスの数々。
世界遺産のストーンタウンは、イギリスの支配下の歴史からか、やはり少し西欧の雰囲気が漂う。
元奴隷市場は今や観光スポット。奴隷貿易の爪痕はとても強く残っており、忘れられないスポットである。
更にはプリズン島と呼ばれる島へのレジャー。
綺麗すぎる海!
ただそこには奴隷貿易で大量の奴隷が収容されていた過去がある。少し離れた離島に収容して売られるのを待つ。そんなことを考えると、人類の歴史は本当に儚い。
たくさんのスパイス石鹸!やっぱり香辛料は健在。
そして絶景レストランThe rock。実はこのレストランはストーンタウンとは真逆の場所にある。車でも1時間強の場所で大変生きにくい。ちなみにザンジバルはバイクは無い。だから僕みたいな国際免許もない人が行くならタクシーしか術はない。でも行ってしまう。
昼でも夜でも最高の景色。昼は透き通る海を眺め、夜は真っ暗な中で星空を眺める。なんて贅沢なのか。そんな景色のためにわざわざ、二回も行ってしまった。

でも、観光客が普段行かないであろう島の反対側に来させるツールとしては素晴らしい。周辺はリゾートばかり。そうやってコミュニティに貢献しているのは見習うべきもの。
これはお土産のティンガティンガ。普通に可愛いって終わるものではありますが、ここにも一つの歴史があります。1960年代に絵を描き始めたティンガティンガさんがこの絵の主で、絵画教育を受けずに編み出したポップな手法が評価され、主に観光用に売られた。元々は観光客の気をひくためにカラフルな技巧を使ったところから始まる。彼の死後には独立の気運も相まって、タンザニア独自の手法として取りざたされ、手法自体がとても人気を博した。そのため様々な人が真似をして現在まで至る。観光用として作られたもので、具材は安価なものしか使っておらず、形も小さく持って帰りやすいものがほとんど。まさにニーズから作られたお土産である。しかも最後は名前まで入れてくれる。やはり、歴史は繰り返すもので、自分ももれなく買ってしまったのである。
透き通る海を持つザンジバルに終始感動しっぱなし。でも、その歴史を少し垣間見ると、もっと旅は深くなる。

【注意点】
①サンダルと水着は持参
→サンダルとか現地調達しようと思ったら意外に物価が高かった。持てるなら持って行くべし。

②タクシーは吹っかけてくる
→まあ当たり前ですが。空港に最初着いた時は金銭感覚がわからずリゾートだから仕方ないかと言い値を少し下げる程度だったが、歩くに連れて物価を認識。だいたいタクシーは2倍くらいで声かけてくる。粘り強く交渉する必要もなく簡単に半分近くまで下がる。現地の人から見たらだいぶそれでも高いから。ちなみにストーンタウンからThe rockまでの往復3時間弱+空港送迎までで$30。最初は往復だけで$60と言われた。

【気づいた事】
①歴史はうまく使え
→語弊があるかもしれないが、残すべきものはしっかり残さねばならない。そして、どう残すかは、残しやすいツールを使っていけばよい。ルワンダで言えば、虐殺の歴史は黒くもなるし白くもなる。それはどう残したいかと、どうすれば残っていけるかを見出すことで解決する。

②ストーリーを語れる奴を見つけろ
→ただただ散策してると終わる観光。それほど頭には残らないだろう。リピートも見込みにくい。でも、ストーリーが背景にあると、記憶に残って住み着いていく。行くだけで興奮する。だからこそ、ストーリーテラーは常駐しておかないといけない。

ということで、ザンジバルを終えて帰国したのでした。実りのある、学びの多いタンザニア観光となりました。


タンザニア紀行 #4 サファリ帰還

【3日目: アルーシャへ帰還】

帰るまでがサファリということで、一同はセレンゲティ国立公園を朝に出て、来た道をひた走りアルーシャへ戻る。
セレンゲティからアルーシャまでは7時間ほどある。2泊3日なので、今日中に戻らないといけません。でも道中ではまあまあ群れから外れた動物達がいるので途中途中で車を止めてくれます。
こんな感じで、ふらっと見ながら帰るのもまた楽しい。
シェフの最後のお昼ご飯はまたまた盛り沢山で美味しい!まさかのコロッケまで作っていたのには驚かされた!
行きでは霧がすごくて全然見えなかったビューポイントも、帰りはとても澄んでいて遠くまで見渡せる絶景。みんなで最後の降車で記念撮影。
無事に7時間かけてアルーシャのホテルまで着いたのでした。旅の仲間と最後の記念撮影。タンザニア人2人の素敵なガイドとご飯があったからこその素敵な旅になりました。

また同期隊員みずえさんの、さすがタンザニア隊員と唸る数々のガイドさながらの情報は、さらに旅を素敵なものに彩ってくれました。本当に感謝でした。

【サファリを通して気づいたこと】

①観光客目線のカスタマーサービス
→さすがアフリカ随一の観光地キリマンジャロ。細部まで行き届いた配慮は、テント、食事、ピッタリの時間配分から見ても、ルワンダとは大きく異なる。お金になるためには何が重要なのかという経験値の違いが歴然。

②観光資源の強さ
→サファリの1番の特徴は「アフリカっぽい大地と動物達」であり、アフリカに来る1番の動機となっている。マサイ族もまた日本でも有名で、独自の格好やサファリ内にある集落の差別性から訪れる客は多い。現に、$800を払っているもののそれは安い方である。ターゲットとされる距離的に近いヨーロッパ人は1泊$1500するロッジに泊まる。それほど唯一無二の資源がここには存在するということ。ケタ違い。

③1歩目をどう踏み出させるか
→今回はタンザニアに僕がアテンドするから前職の方々が来てくれました。もし僕がいなかったら来ていたかというと、おそらく来ていない。こんなに観光業の整ったタンザニアでさえ、そんなもんなのだと痛感。ルワンダなんて情報すらない。あっても虐殺の歴史のみ。そりゃぁ来ない。でもアフリカを身近に感じさせる道程のヒントは何となく少しだけ気づけた気がする。

【取り組むべきこと】

①タンザニアやケニアに来る観光客をどうルワンダに来させるか?
→全く違うニーズの観光客だが、東アフリカ共同体としてのビザ不要などのハードルの低さから、来させるポテンシャルはある。「アフリカと言えばサファリ」であるのは間違いないが、アフリカに来たからこそ学ぶべきことの1つとしてのオプションとして、ルワンダは「生きたアフリカの黒い歴史と白い未来」の両方を持つ極めて稀な国。できることは多くある。

②「観光業」の確立
→ルワンダは歴史が短いゆえに観光業などのインフラも整っていなければ、サービスが金になるという意識も希薄である。そのため、わざわざ来た観光客を満足されるに至っていない。ゴリラもタンザニアに比較してアホみたいに高い値段で人数制限まである。まだまだ未開の領域にある観光業が、まずは金になること、そしてカスタマーサービスによる付加価値の意識を持つこと。これこそがルワンダ人にタンザニアから学んでもらうことである。

③資源が無いなら作る
→ルワンダには観光資源はゴリラしかないと言っても過言ではない。あとは虐殺の歴史。差別性をどこに求めるか、誰をターゲットにしてキャンペーンを打つか。おそらくほぼ考えられていないのが現実。観光庁との話し合いにより、ルワンダの特徴とそれを活かした唯一無二の経験を「作る」という取り組みを進めたいなと思っている。


何はともあれ、学ぶことの多いタンザニアはキリマンジャロのツアーでした。サファリ編は以上です。
さよならキリマンジャロ〜

2016年6月24日金曜日

タンザニア紀行 #3 セレンゲティ国立公園サファリ

前回はンゴロンゴロ国立公園のサファリの模様をお伝えしました。

今回は【サファリ2日目:セレンゲティ国立公園】をご紹介。

まずはキャンプサイトの朝焼け鑑賞から1日は始まる。
神々しい景色と、遠くに見えるクレーターの裾が早朝からテンションを上げてくれる。

そしてシェフの美味しい朝食を食べる。サファリは車に乗る時間が長いので食事をゆっくり外で食べる時間は意外に大事だったりします。
パンケーキやソーセージ、オムレツなど栄養も考えられた朝ごはん。タンザニアの同期隊員みずえさんが持って来てくれたキリマンジャロコーヒーとともに至福の時。なんて準備のいいことか。
ということで出発。
キャンプサイトからサバンナをひたすら1時間以上かけて走っていくと、ようやくンゴロンゴロからセレンゲティへの入口に到着。
いよいよセレンゲティ国立公園に入りました。
ずーっと先まで見通せるサバンナにはキリンがいたり。そして公園の茂みに差し掛かって行くと…
シマウマの水飲みシーンや
大量のヌーや
大量のゾウ、
本当にサファリっぽいゾウの大群です。
ん?木の上になんかいるらしいぞ!と近づいていくと、なんと木登りライオンではないですか!
メスライオンが木から降りて(落ちたw)みんなのもとへ駆け寄る姿は勇ましい!
こんな風に車の屋根を開いて頭を出して見るんです。はたまた、
これまた珍しい、池から出て歩いてるカバに遭遇。地上に出ると目に入るものすべてを敵視して鼻息荒く向かってくるので一同警戒。

そして感動してばっかりしていたらあっという間に夕方になり、キャンプサイトに戻りました。ここは本当にセレンゲティ国立公園のど真ん中のキャンプサイト。仕切るものも何もないため動物がウヨウヨしてる予感…
またシェフの美味しいご飯をみんなで平らげる。
もう盛り沢山すぎて幸せ。野菜いっぱい、カロリーいっぱいです。夜も更けていき、お酒の入ったクーラーボックスをテント横に置いて寝るのでした…

と思いきや、昨晩のナイトサファリのワクワクすした体験から我々男性人はセレンゲティでもナイトサファリ決行。夜の3時に起き出して、今回は女性陣も起こしてヘッドライト片手にまずは夜の星空を拝見。

「天の川まで全てくっきりだ…」
「こんなに星が見えるのは初めて…」

そんな声が上がってきました。ルワンダも綺麗に見えますが、やはりサファリの中の星空はひときわ強く輝いていました!

そして、お目当ての動物達をテント周辺で散策。前日はヘッドライトを当てるとキラキラ不気味に目だけを光らせる動物達も、その夜は残念ながらお目にかかれず。少しお手洗い周辺も見て回るも見つからず、ここでお開き。

朝日が目に染みるとうとう3日目。少し遠くに行こうとするとガイドが、

「ライオンとハイエナが出るぞ!早く戻ってこい!」

結構強く言われたので、急ぎ足で戻る。そんなに危険なところにいるのかと。

そして、事件は起きた。

テント横に置いておいたクーラーボックスが紛失した。誰だ、こんなことしたのは。ということでガイドに、誰かにクーラーボックスが盗まれたと話すと、

「ハイエナだな。彼らが取っていったんだろう」

んな馬鹿なことを。あんなに大きいし固くて重いものをどうやって持って行くのさ。これは周りの人たちがお酒欲しさに盗んだんだろう。一同そう思っていた。漫画じゃないんだからさ。

すると、ひと声。

「クーラーボックスがあったぞ!」

テントから約50m離れた場所でクーラーボックスが衝撃的な形で見つかった。

近くで見てみると、がっつり歯型がついて壊されている。こんな固いのに食いちぎっている。

中を見てみると、ポテトチップスやジュース、コーヒーまで全て食い荒らされていた。。なんと言う…

「そういえば昨夜は40頭くらいハイエナがいたな」


……えぇーー!!!
てことはテント布挟んで約10cmの至近距離で我々のテントはハイエナの大群に囲まれていたということである。

「ポテトチップスやジュースの臭いを嗅ぎつけて、ボックスを引きづり持って行き、離れたココで遠慮なく食べ尽くしたんだろう」


…ボックスで密閉されてたのに⁇
…運んでから漁ったの⁇


野生動物の脅威を完全に舐めていたと思い知らされた瞬間である。これでもしテントの中にもっと臭いのするものを置いていたら、テントはいとも簡単に破られて我々も襲われていただろう。。

…呑気にナイトサファリなんて。。

自然の怖さは、一歩間違えたら死ぬのかということを痛感した瞬間であった。

そんな朝を迎えたセレンゲティ国立公園のサファリであった。朝ごはんにもう、キリマンジャロコーヒーの姿はなかった。。

【注意点】
①むやみに出歩かない
→野生動物は当たり前ですが危険だという意識が必要でした。

②食べ物はテントに持ち込まない
→食べられてしまいます。必ずガードが付いているキッチンや建物の中に入れておきましょう。

③小さな水筒あると便利
→もちろん水は貰えますが、寒い時には温かいものを入れられる水筒があったりすると道中も良いなと感じました。

④飲み物は持参して
→③に関連して。水しか出ないのでアルコールなどは持参してサファリで楽しめるようにするのが良いなと思う。


ということで、次に続く。

2016年6月23日木曜日

タンザニア紀行 #2 ンゴロンゴロ国立公園サファリ

タンザニア土産を渡す行脚をしてきました。自分のお土産としてユニフォームを買いましたがお揃いでもお土産として。
自分のやつを上司に着せるの図。

こっちも自分の。
毎週行く女性組合にも。

コーヒー石鹸作ってるので、タンザニアスパイス石鹸を彼女にはあげました。

ザンジバルユニフォームを同僚へ①

タンザニア伝統絵画を同僚へその②

絵画を同僚へその③

その④
やはりカスタマイズできる伝統工芸品は喜ばれました!これはルワンダでも取り入れないとね!

さて、お土産は置いておいて。今回のタンザニア旅はなんと、日本の前職の方々がわざわざ駆けつけてくれたのです♪( ´▽`)

前職の2大基幹ブランドであるアタックとビオレの先輩方。

超多忙の中でアフリカまで来てくれたお二人の素敵さは言うまでもありません。更に…

わかりづらいですが、日本の支援物資をたっくさん持ってきてくれました(魚の缶詰やお菓子!)

素敵な人たちとの縁は大事にしようって本当思いました(^^)

そして、いよいよサファリへ。今回はタンザニア隊員みずえさんにアテンドしてもらい、オススメのツアー会社で行ってきました!

【日程】
・1日目:アルーシャ→ンゴロンゴロ国立公園→キャンプサイト
・2日目:ンゴロンゴロ国立公園→セレンゲティ国立公園→キャンプサイト
・3日目:セレンゲティ国立公園→アルーシャ

【予算】
車・ガイド・シェフ・宿泊・入園料など全て込み1人$800(人数により変動)

【1日目】
キリマンジャロ空港からサファリの起点となる町アルーシャまでは約1時間。アルーシャの宿泊は「Outpost lodge」がオススメです。少し高いけど綺麗で部屋もだいぶ整っていました。

ということでアルーシャのホテルを出発し5時間ほど。
まずはンゴロンゴロの入口へ。

その先は標高2000m超にあるクレーター。この写真の下の湖ら辺一帯です。とりあえず標高高いから寒い!
帰って来る頃にテントが作られてるように、まずはキャンプサイトへ。

絶景の眺めのようだが霧が深くて見えない。テントはこんな感じ。とても寒い。必ずウルトラライトダウンは持って行きましょう、あとヒートテックも必需品。
キャンプ場のご飯を食べる場所はこんなところ。シーズン始まりから結構欧米人がたくさんいるなというイメージ。

そして、動物たち!!
まずシマウマ。
ヌーとその後ろは数百羽のフラミンゴ。
ダチョウ。2メートルくらいある大きいやつ。
ハイエナ。不気味な顔をしています。
キリン。
ゾウ。からの、、
無邪気に寝てるオスライオン。近くにいて本当可愛い。

などなど、多くの動物に会えて引き返しました。
下が完全にクレーターになっていて、そのクレーターの中で生きている動物たち。自然の凄さを感じざるを得ない。
お抱えシェフが作る素敵な料理とともに1日目の夜を迎える。まさかのホットシャワーがあったのが奇跡。

夜にナイトサファリと言ってテント周りをパトロールしてると目の前にヌーが2頭、目だけ光っていて怖かったな。あんまりナイトサファリはしない方が安全のためにいいかと思います。

【旅の注意点】
①防寒対策を忘れない!
→アフリカだからと侮ってはいけない。標高2,000mを超えるとそこは寒帯。気温およそ10度、体感はもっと低い。ウルトラライトダウンだけの対応では間に合わなかった。厚手のソックス、手袋、ヒートテックは必須。

②オペラグラスは重要!
→フラミンゴの大群に遭遇も、距離があったためなかなか細部まで見えなかった。ゲームドライブも通路があるところのみなので、遠くにレア動物がいたとしても近づけない場合が多いのでオペラグラスがあると便利。

③ツアー会社は信頼できるものを!
→我々は日本人(同期隊員)の同行の上、シェフやガイドが比較的しっかりしてるものを選択。(我々はKilimanjaro Vikingsという信頼できるツアー会社を紹介してもらいました。)でも安い会社で行くと車の故障や案内無しなどのトラブルに会う可能性があります。実際にいくつもタイヤが外れたりバッテリーが上がってて動けなかったりする車を見かけました。

次回に続く。