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2016年4月8日金曜日

2回目のルワンダ虐殺追悼週間を迎えて

園田は生きています。

今日はどうしても伝えたいことがあり投稿します。





昨日4月7日からルワンダは1週間の虐殺追悼週間を迎えました。

昨年も同様の記事を書きましたが、今から22年前の4月7日から約100日間で、少数派であるツチ族が、多数派であるフツ族により皆殺しに合い、約100万の尊い命がなくなった事件を、決して国民全体が忘れず、そして二度と同じ過ちを起こさないために設けられた期間です。

7日は各地で義務としてメモリアルセレモニーが開催されました。
私の町でもありました。

国民全員が参加する、それほどの爪痕を22年経った今でも彼らの心には残しています。

そして、8日からの6日間は国全体のすべての機関が午後は運営せず、各地域での対話や集会参加への時間となります。

事実上の経済停止です。GDPにしても1週間は2%に当たる大きな長い欠落ですが、それでも続けていくんです。

昨日7日、私は同僚の1人と追悼式に行きました。朝9時から5キロくらいの道を、その地域の全員が歩いていき、記念館で、墓地がある中、追悼を行いました。
こんな列がずーっと続くのです。
そして式はこんな様相です。
合間には雨季のため雨が降りましたが、知らない人同士で傘を分け合いしのいでいました。何とも、融和という言葉が合う場面だったことか。
もちろん、軽い気持ちで参加したつもりはありません。自分自身が殺人に遭遇したり、そんなことが身近で起きたこともありません。でも、日本とルワンダは共通したことが多くあるということを、僕はルワンダ人から何回も学びました。

ヒロシマ・ナガサキ。そしてフクシマ。

彼らは、行ったことのない僕の母国を、行ったことがあるかのように教えてくれます。そればかりか心配をしてくれます。そして、日本のように復興してみんなが幸せになれるようになりたいと言います。

だから、ルワンダの人のことをちゃんと受け止めずに日本に帰ることは彼らにとってはあり得ないことだと思って参加しました。少しでも彼らルワンダ人のことを多くの人に知ってもらいたい。知らないところで日本を尊敬する彼らを。

昨日の大統領のツイートです。
国民全体を巻き込んだこの追悼週間の意義を、みんなが大事にしてるのが本当に伝わってきました。でも、みんな普段は全くそんなこと喋らないんです。悲しすぎる歴史は、彼らの心の中で留まっている。もう彼らの目は、未来にしか向かってないからだそうです。


ルワンダに来て1番ツライ話を、初めて同僚と歩きながら聞きました。

いつもはこんな感じで遊んでばっかのやんちゃな彼です。

以下彼のコメントそのまま。

ヒロ、虐殺は本当に大変だったんだよ。僕はその時に隣の田舎の郡に家族と住んでたんだ。当時は大学を出て働き出したばかりだった。4月7日に虐殺が始まって、4月27日だったかな、うちの郡にも殺人鬼が訪れたんだ。ちょうど僕が働いている間に、家にいた両親が殺された。僕はたまたま仕事をしてたから生き残ったんだ。そして、生きるために疎開してきた色んな人と一緒に遠くに逃げる生活が始まった。3ヶ月逃げ続けたよ。一緒にいた友達の何人かは首を切られて死んでしまった。1人は首を切られても生き延びて、今でもピンピンしてるけどな。雨は最高だよ、雨になると殺人鬼は外に出て来ないから。あと夜も最高だったよ、ずっと夜に見つからずに移動して行ったんだ。昼だとすぐに見つかって殺されるからね。何でも食べた気がするよ、もうおかげで今はたくさん食べちゃうからこんなにお腹が大きくなってしまったよ。そして3ヶ月逃げた後に虐殺が終わった。でも、終わっても何も解決してないんだよ。だって食べ物もお金も仕事も何もない人だらけだったんだから。みんな、仕事を求めて色んなところに押し寄せたよ。でも、全部埋まっていて仕事なんてなかった。大変だったよ。大学を出た僕もなかなか仕事に就けなかった。良い仕事を探してると、言われたんだ。おまえは良い仕事を探してはいけない、そんなものはもう無いのだから。でも、たったと一つだけ工面できるものがある。キッチンだったら空けられるよ、おまえは料理が作れるのか?。そう言われた。家事の手伝いレベルだったけど、もちろんできます!経験もあります!と言って職につけたよ。3ヶ月働いた。初めてコックになったよ。まさか自分が大学を出てコックになるなんて思わなかった。給料はでもとてもよかったよ、1日500フラン(80円)。貰えるだけでもありがたいのに。今考えるととっても少ないけど、その時は大金だったんだ。笑えるよな、僕がコックなんて。そのあと、マッチの会社に7年働き、その後独立してコンサル会社を作り、地域のために働いた。そしてその後に今の職場に移ったんだ。人生は何が起こるかわからないね。そして、本当に、生きることはとても難しい。でも今生きてる。それが一番だね。日本も大変だったけど、すごくいい国になってる。僕らもそうしていかないとなって思うよ。だから僕は日本の人が好きなんだ。



以上が彼のコメントです。泣きそうになりました。こんなこと話すのは1回もなかったんだけど、初めて話してくれた。本当は違う町に行って出席する集会があったのに、僕のためにフイエの街まで来てくれた。そして、日本に憧れを持ってくれている。

日本はヒロシマ・ナガサキのことをしっかり受け止めて生きている人がどれほどいるだろう。僕を含めて多くの人が忘れ去ってしまっている気がしてなりません。

そんな人たちとはつゆ知らずに日本に行きたいとしきりに言う両親が殺された同僚がいる。自分にやるせない気持ちでいっぱいになりました。


ルワンダで過ごす虐殺追悼週間は2回目です。だけど、1年ルワンダにいて、彼らの生活や働き方、マインドを見てから経験するこの時期はまた、去年とは全く違う思いが込み上げてきました。

まだまだ、彼らの思いは理解できないけど、少しでも彼らのために頑張ろうと思います。



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