追悼週間の中での週末を迎えていました。この上の写真の「kwibuka」とはルワンダ語でremeberという意味で、決して忘れてはいけない歴史を、みんなが共有するスローガンとなっています。
この週末でも、7日からの追悼の1週間は毎日絶対に全国民が午後2時になると各地域の集会に参加します。法的な拘束があるのかは定かではありませんが、お店の営業をしていると罰が与えられるとのこと。
街は写真のとおり、すっからかんです。
市長などの重鎮の挨拶から始まり、キリスト教国家なので聖書の話、そして虐殺期間を経験した人たちが登壇してその時の様子をみんなの前で話します。
僕みたいな外国人が居ると普通は「なんだこいつ、ルワンダ語もわからないのにただの見物か?」となりそうですが、全くそんな素振りもなく、「どうぞ」と通して入れてくれます。
拙いルワンダ語の知識を駆使して聞く限り、先程のようなことが約3時間ほど続きます。
昨年は気にならなかったことが一つだけ今年は妙に気になって同僚に聞いたことがあります。
まず7日のセレモニー前の各地での国民全体が行った大行進。
集会の前では必ず毎回火を焚いています。
全てに繋がるのですが、我々日本人から見ると、「火」がポイントだと思います。弔いの火を焚いて死者を偲ぶ。僕もそう思ってました。でもよく見ていると、大行列に参加してる人のスカーフやリボンはグレーで統一されていたり、旗もグレー色、服もグレー色が多く、シンボルである火の色もグレーなのです。そして、最後の写真も炭をそのまま置くことが大事だと言うんです。
そう、ルワンダでは「炭」が大きなシンボルなのです。グレーはそのためにセレモニーや旗などの全てのものに使われるのだそうです。
どうしてか聞いてみると、こんな答えが返ってきました。
「22年前の大虐殺では本当にたくさんの人が死んだんだ。国全体が腐敗した。そこから復興しないといけないんだってみんなが思った。1回付けて消えてしまった火は、炭になってしまった。だけど、そこからまた新しく火を付ければいい。そこには無限の希望があるんだよ。だから【炭】は今のルワンダ人の気持ちを表しているんだ。炭のように、消えてもまた付き直す、未来の火をしっかり見据えるその気持ちが、ルワンダを支えているんだと思うよ」
そんなことを、1時間くらい2人で歩いている間に教えてくれました。その後は写真のように談笑しながらご飯を食べたのですが。
心を打たれました。そして、文化の違いはもちろんですが、ルワンダ人の気持ちの強さを感じました。
式典では、若い人たちは長い長い長老さんたちの話に耐え切れず携帯をいじったり、寝てたり、ふんぞり返ってたりしてました。「やはり、歴史は廃れていくのかな、どこの国も同じなのかな」と思いながら見てました。でもこの国には、語り継ぐ人たちがいるんだなと。普段は見せない強い気持ちを、心の底にはしっかり持って生きてるんだなと。
翻って自分は原爆の悲惨さもなかなかうまく、語れません。とても情けないなと感じました。ルワンダ人の方が余程多くのことを知っています。
カガメ大統領が昨日スピーチをしていました。
「今でもルワンダの平和を脅かす人々が隣国に潜んでいる。不満を持つ者、虐殺のイデオロギーを持った者がいる。でもそうした人達は絶対にその反逆を起こすことはできない。なぜなら我々は連帯してるからだ」、と言っていました。色んな考えがルワンダの国家統制にはあります。独裁体制だ、腐敗しているんだ、政権を続けさせるために法律を変えてしまった、などなど。
ただ、事実としての平和はもう22年、彼の政権下で続いています。
私の同僚は言いました。「カガメ大統領ではなくなった場合に、平和が崩れるリスクがあるのだとしたら。もしそうなら、現政権を憲法改正してでも継続させることを選ぶだろう。それはもちろん、民主主義的ではないかもしれない。世界的な立場は悪くなるかもしれない。支援国家がお金をくれなくなるかもしれない。そんなことになるのは分かってる。もしそうなったら、そこら辺になってるバナナやマメを食えばいい。それでも我々は、平和を保つことを選択しなきゃいけないんだ」
なんて言葉なんだろう。
今まで自分の描いていたルワンダ像と少し違う違和感を持ちました。ルワンダ人は盲目的なのでは、とばかり思っていた考えがまるっきり変わりました。
平和を思うって、時には民主主義とは離れるんだ。民主主義から平和が生まれるとは限らないんだ。確かに歴史上、民主主義に移行してから独裁政権が建つ国も沢山あります。
【炭、灰になっても諦めず生きてかなくちゃいけないんだ】【平和を作るためにはなんでも厭わないんだ】という、虐殺の後に残された生存者の魂を感じた、忘れられない週末となりました。
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