ルワンダにて早2ヶ月が経過、
二本松にてブログ開始を決心も、なかなか始められず今に至る。
だからレビュー版として今までの考えたことを整理しようと思います。
<これまでの軌跡>
–2013年9月 青年海外協力隊に入りたいと決心(この時26歳)
「海外で」「途上国で」「日用品の」「マーケティングが」
したくて入社した国内日用品メーカーで4年半マーケティング中心に勤務。
30歳までに「一人で」「海外で」「途上国で」「マーケティングが」
したかった自分がいて“1回の人生だから”を合い言葉に決意。
–2013年11月 1次選考結果合格(この時27歳)
エントリーシートを提出して約2ヶ月弱で選考結果が手紙で届く。
開ける時はだいぶ緊張したけど「合格」の文字があって、
“人生が変わった”と思う一歩だったなって記憶。
エントリーシートには自分の夢はもちろん、経験ややり甲斐を熱く
語っていたからそれが少し響いたのかなと思った。
協力隊って、人に夢を与える仕事の一つだから、それは良いこと。
–2014年1月 2次面接受験
1月初旬の寒い中で面接を受験。2回に渡る面接を午後から夕方まで。
間に合格した者用スーツの採寸をしながらの面接。職種別に席も決まって
おり30代後半のマーケッターの方がいらっしゃったり、同じ要請志望の
人がいたりと緊張感が少し高まった中で面接スタート。持ち時間15分。
◯1回目は「パーソナル面接」:主にエントリーシートに書いた中でも
「志望動機」「職種の理由」「希望国の理由」「どんなことしてきたか」
を穏やかな雰囲気の中で聞かれる。溶け込みやすい態度かが問われる。
◎2回目は「技術専門面接」:主にエントリーシートに書いた中でも
「活かせる経験」「途上国経験」「どんなことをしたいと考えるか」
「ボランティアとビジネスの違い」「専門的な考え方」を圧迫な雰囲気で
聞かれる。キツい状況でもめげない姿勢が試される。
2回目でかなりの圧迫感の中、「現職参加ではない理由」を聞かれた。
法人向けボランティア派遣制度があるのになぜ使用しなかったか等、
知らない事柄を問われたが、現職参加したかったけどできなかったこと、
背水の陣でやる意思を説明。ただ、ちょっと雰囲気はキツいまま終了。
–2014年2月 2次面接結果合格
1月の面接時は圧迫面接に負けじと頑張ったが、なんとなく「イケた!」
という感触は無かったので、これで落ちたら空しいなと思っていた。
封筒が届いてから開けるまでのドキドキ感はなかなか今までにない感覚。
「合格」
やってきたことが認められた、熱い思いが伝わったという喜び。
ようやくスタート地点に立てた達成感。そしてたくさんの人に報告。
自分で勝手に決めたことだから、あまり相談も人にできなかったけど、
「辞めるな」ではなく「頑張れ」「期待してるよ」と言ってくれる
仲間がいたことが正直とても嬉しかったのを今でも覚えてる。
–2014年9月 会社退職(現職参加を試みるも失敗)
やってる仕事内容も、一緒にやっていた同僚の方々もとても好きで
楽しかったしやりたいことをできていたから、辞めることに寂しさが
やはり出てきた。実際に上司に話したのは7月末。
(退職は有給消化後の9月末)朝からどういう話をするかは決めていた。
「やりたい夢がある」「今しかできない」「チャレンジしたい」
反対されると思ったけど、意思の確認が何回かあっただけで
「私たちは君の夢を応援したいから、立場としては止めたいけど、
むしろ嬉しいし海外に君という人材を送り込むことを誇りに思うよ」
そんな言葉を貰った。正直、意外だった。
大人になるって、色々なことを新たに学ぶこと。
それと同時に色々なやらない理由を考えて否定したくなるもの。
でも、それを純粋に受け入れて後押しさえしてくれた。
同じ人に何回も送別会をしてもらった。
たくさんの前向きな言葉を貰った。
この会社で4年半働いて本当に良かったな。
ツラい時:楽しい時=9:1くらい時間に追われて仕事していたけど、
振り返ると楽しい時しか思い出せない。今でもそう。
良い会社を辞める程、人として大きくなって帰らないと失礼だな、って
気合いが入ったのをよく覚えてる。
いよいよ次は二本松研修所入所後の話に続きます。
0 件のコメント:
コメントを投稿